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  • 自殺未遂と私について

    こんにちは、ぞぬです

    今もしかして自殺に悩んでこの記事をみていませんか?
    私は味方だ、なんて言い切れませんが、私は自殺未遂者です

    少しだけでもお時間を貰えるなら、お付き合いください

    私は自殺未遂をしました
    中学三年生の14歳、3月2日です

    発端はずっと前からあったと思います
    そもそも生きている事に精力的ではないというか、そういう人間でしたので
    ある時にコップの水が、溢れてしまったんですね

    端的に言うと、少し恥ずかしいのですが、その頃好きだった子にフラれまして…
    そこが最後の拠り所というか、そういう物をなんとなく自分の中で持っていたんだと思います
    ですが日常のゆっくりと注がれた水が、その時に溢れてしまったんです
    息抜き、というか、コップの水の捨て方を知らなかったんですね、私は
    その時に、投身自殺をしました

    忘れもしない、あの少し小雨の降る夕方
    私は東名高速道路に飛び降りました

    ですが、私は生きていた
    腰椎、両手、両かかとを粉砕骨折しながら、生きていたのです
    東名高速道路に投身自殺した際、二人のドライバーが私を助けて下さいました
    投身自殺をして落下したのは射線の隙間だったようです
    何か荷物を落としたのかと思ったが、動いているので人間だと思った、と言っていたはずです
    あの頃の救急隊員の方に尋ねた事を今でも記憶しています
    なぜ生きているのかと
    その返答は覚えていません
    記憶も定かではなく、病院に着き、処置のため制服を切られていた記憶があるくらいです
    その時に、私は…神というのも失礼なので、瀕死の私の内から出た戯言程度に受け取ってもらって構わないのですが
    声が聞こえました
    あなたは涙の味を知っているのですね

    誰かが見ている、私の事を見守ってくれているのかと安堵し、泣いた覚えがあります

    その後は手術やリハビリをこなし、脊髄損傷のため今でも車いす生活ですが、一人で生活できる程度にはなっています
    今もし自殺を考えている方がいたら少しでも頭の片隅に置いてください
    自殺をしようとしたからと言って必ず死ねる訳ではないんです
    自殺をする前よりも重い状態になる可能性もあり、家族も周囲の人間も苦しめます

    それでも、今一番大切なのは家族でも周囲の人間でもなく貴方自身です
    貴方の思いや願いが一番大切なので、困った事があったら私にぜひ話してみてください
    きっと、一人だけでは見れない景色も見れるかもしれません

    ではまた

  • ネガティブな過去と私

    こんにちは、ぞぬです

    今日は過去と私についてお話していきたいと思います。
    ですが今回は、私の実際の過去を話すというよりは、過去との向き合い方についてのお話です

    私は、過去に憎悪も愛情も後悔も希望も悲哀も歓喜も経験したことがあります
    誰しも、そんな過去があると思います
    私は人の記憶は、心や身体に負荷がかかった事をより強く鮮明に覚えていると思っているので
    マイナスな、ネガティブな過去の感情がより強くあるのではないでしょうか?
    正直これらの過去の感情との向き合い方には、私自身も誰かに提示するような明確な答えを出せていません
    ですが、選択肢を考える事はできます
    今回はネガティブな過去をどうするかについて考えていきたいと思います

    まず一番強い手段を考えます
    向き合って解消することです
    向き合って解消、つまりそのネガティブな過去を倒してしまえば、今後の人生には現れません
    その上、現れても倒せばいいのですから非常に単純です
    それはより多くの幸福や、成功などのポジティブな感情で向き合う事です
    生来そのような思考をしていたり、環境的にその手段が整っている人にとっては素晴らしい手段です
    ですが、私のような弱い心の人はそうはいきません

    では次にどうするか
    時間が経過することを待つことです
    やはり皆人間です
    記憶は風化するし、日々を生きているだけでも人の心は様々な経験を経て強くなります
    なので一旦置いておく、という考え方ですね
    正直な所、自分のネガティブな過去というのは考えるだけでも自分にマイナスなので、
    そもそも考えずにいたり、忘れてしまうのがいいです
    寝たりとか、お酒で忘れたりとかいうのは、いい手段かもしれませんね
    現代社会では多くの方が、無意識ながらこの手段でネガティブな過去と向き合っていると感じています

    そして最後に、
    引きずることです
    私はこの向き合い方をしています
    というより、このような引きずるという選択しか出来ない人間が存在します
    先に伝えますが、私は自殺未遂者です
    この、引きずるという手段しか残されていない人が、自殺をするのだと私は考えています
    ですが私は引きずるという行為を悪だと思いません
    たくさんの痛みを覚えていて、とても素敵だと思います
    それだけ人の痛みが分かる人間です
    引きずるという行為に話を戻しますが、これはやはり、バランスが大事だと考えています
    向き合って解消できることはして、時間が経過するのを待てる人は待って、でも心の奥底に引きずる過去が
    できでしまう、それでいいと思います
    人間はコンピュータのように0か1でしか判断できない機械ではないので、色々な考え方があっていいと思います
    それでも全てを引きずってしまう方もいると思います
    そのような方はぜひ私とお話でもしましょう
    様々な通話アプリや繋がる手段があるので、苦しかったら私に言ってください

    ではまた

  • 里親と私について

    こんにちは、ぞぬです

    今日は里親と私について感じたことや思った事を書いていきます

    先日、父と母に少しお話を聞いてきました
    私の視点で、里親とは何なのかを質問してきました。

    まず里子の私として気になった点は、
    里親ってどうやってなるの?
    という点です
    正直、運転免許証などに近しいものを感じました
    今ではなりかたなど沢山レクチャーがあるとは思いますが、
    実際に私の両親がなった30年程前にどのような事をしたかに触れます
    これは、現行の法で適応されているものではなく、記憶を辿ったものなので、抜け等があるもしれませんが、ご容赦ください

    まずは里親の入口です
    第一に、児童相談所に相談する
    ここは今でも変わらないです
    そこから、持ち家、年収などの審査、
    そして児童相談所との面談を経て里親になるとのことでした。
    こちらも現代でも変わらないでしょう。ここに研修も含まれているはずです。
    ですが、具体的なラインが設けられているというより、
    総合的な現在の家庭状況から、審査の合否を出していると感じました。
    ここで、里親に適していると児童相談所から判断された場合、里親証明書が発行され、晴れて里親さんになれるというわけです
    里親の窓口は児童相談所、ですね

    そして次に疑問を感じたのは、里親って手続きや研修関係で普段何してんの?という点です。
    私の思っていた今までの里親への勝手な認識なのですが、
    里親となった後も、厳しい倫理調査や、厳しい研修があると思っていました
    ですが実態は基本的に、家庭を優先した参加自由のブロック会議、
    そして最重要である、数年に1度ある里親更新がメインであると知りました。
    一度審査が通れば後は更新、というのが運転免許証に近しいと感じた点です

    基本的にブロック会議は私が問題を起こしていない限りは母が出席し、
    里親更新では更新の為なので、父と母二人で行うとのことでした。

    これらが私の両親に聞いた情報であり、現代では違うかもしれませんが、取得の状態と更新などについてでした
    ここから私が思うことは、里親になってみようかな、という方はぜひ児童相談所へ相談しに行ってほしいな、という事です
    どのような状況で里子を迎えようと判断したのかはご家庭の数だけあると思います。
    なんとなく聞いてみればいい、という訳ではありませんが、悩んだらぜひ児童相談所へ相談しに行ってください
    また、私でも構いません。
    もし里親に興味や関心がある方がいれば、私もできるだけの努力をするので、ぜひ相談してください。
    ではまた

  • ゲームと私について

    こんにちは、ぞぬです。

    今日はゲームと私についてお話していきます
    一度の記事では長すぎるので、何回かに分けて投稿していきます

    といっても、ゲームの1タイトルを紹介する訳ではなく、
    機種についてや当時プレイしたタイトルと、その頃の思い出などが主な話になります

    まずはPlayStationですね。機種名は今後省略していきます
    私が6,7歳くらいの頃に父がヤフオクでPS本体と
    ゲームソフトの詰め合わせ…のような物を購入したのが始まりだったと思います
    私が6,7歳という事は2003,4年ですので、その頃には
    PlayStation2、ゲームキューブ、ゲームボーイアドバンスが発売していたはずです

    さて、なぜこのような発売日などのお話をしたかというと、当時はこれがコンプレックスだったのです
    当時はPS2では三國無双、GCではスマブラ、GBAではポケモンとビッグタイトルが続々と発売されていました
    小学校内でのゲームの話題は学友を羨んでいましたね

    そしてその私の記念すべきPS初のゲームは…
    父がプレイしたチョコボの不思議なダンジョンです
    私は隣で見ていた記憶がとても強く残っています

    なぜそんな記憶が強く残っているのかと考えたのですが、
    人の記憶は、心や身体に負荷がかかった事をより強く鮮明に覚えていると感じたからです
    ゲームの話題もそうですね。当時は負荷を感じたのでしょう

    ではチョコボの不思議なダンジョンの話に戻ります
    隣で見ていた記憶がなぜ強く残っているのかというと
    ボスが怖かったからです
    主人公であるチョコボの何倍も大きく、とても異形で、泣きながら父にしがみついていたのを覚えています
    とうの父は笑っていましたが
    このゲームでは30階にそのボスがいたのですが、29階から30階へと進む際に、何回か父を呼んでいた記憶があります

    そして真の?私のプレイした初のゲームと言えば…
    ファイナルファンタジーⅤⅡとなります
    現代でもなおリメイク等で話題があがる、最早説明するまでもない、ゲーム界の金字塔ですね
    当時は幼く、戦闘システムやストーリーを理解することもなく遊んでいましたが、
    このゲームが後に私の人生を大きく変える事になります。この話はまた後日

    次にプレイしたゲーム機のお話になります
    それはNintendoDS
    正直この機種についてはあまり語ることは多くありません
    DSと共に買ってもらった、スライムもりもりドラゴンクエスト2大戦車としっぽ団
    が記憶に残っているくらいですね
    それと今でも大人気、ポケットモンスターダイヤモンドをプレイした記憶があります
    当時は攻略サイト等も発達しておらず、色々なデマや攻略情報を学友と交換していました

    その後、私の家族、人生全てを狂わせるゲーム機を手にすることになるのですが、それはまた後日
    本日はここまでにします
    ではまた

  • 自己紹介!

    こんにちは、ぞぬです

    今回は私の自己紹介をしていきます!
    いい書き方が思いつかなかったので、箇条書きと補足で書かせてもらいます!

    ・28歳
    ・男性
    ・無職
    ・乳児院、養護施設出身
    現在里親さんの養子です
    ・身体障害者
    手帳では1級1種、車いす生活です
    ・自立支援医療受給者
    これは精神障害との兼ね合いで持ってます。
    現在は私としては不要になったので精神障害者手帳は所持していません
    ・発達障害者
    ADHDと診断されました。現在では生活面で対応できるようになったので、ADHDに効果がある薬は服用していません

    ・好きなこと
    ゲーム、料理、動物をもちもちする事
    どれかの話題も記事にしようかと考えています。
    ・趣味
    めっぽうゲームです
    触れる世界や製作者の思考が見えて、とても楽しみがいがあります

    ざっとした紹介ですが、今後一つ一つに焦点をあてた記事を作成したいと思っていますので、
    聞きたい事などがあればぜひコメントにてよろしくお願いします!

  • ブログ始めました!

    はじめまして、ぞぬです。

    これから日常的に感じていることや、私の思い出などを皆さんと共有したいと思います!

    ブログの作成が初めてなので、見づらかったり、使いづらい事も多々あると思いますが、これからよろしくお願いします!